1986年4月 本格化するゲーム開発、
SNKブランドの誕生。
1986年、新日本企画の頭文字をとって、社名を「SNK」に変更し、ゲーム開発を本格化させました。(当時はアルファベットによる商号登録ができなかったため、正式社名を「株式会社エス・エヌ・ケイ」としていました)。SNKブランドの誕生です。
前作「T・A・N・K」では、戦車の操縦士であった「ラルフ」と「クラーク」が主人公。いつでもコイン投入で2Pプレイが可能な縦スクロールシューティングゲームで、レバーとダイヤルを融合させた「ループレバー(8方向回転レバー)」が斬新でした。
敵を倒してアイテム(強化アーマー)を取得する成長要素も含んだアクションゲーム。主人公はビクトリー王国の王女である「アテナ姫」。後に登場する「麻宮アテナ」のご先祖様にあたります。ゲーム開始時の水着姿のアテナが圧倒的な人気でした。
未知なる危険との戦いを描いた本シリーズは、ゲーム業界初のゾンビ系ガンシューティングとして人気を博し、世界中のゲームセンターを席巻しました。後に様々なプラットフォームで続編が展開されています。
当時を映す。取説は貴重なドキュメント
いまやパッケージソフトも電子取り扱い説明書が主流となりましたが、ほんの少し前までは、冊子の取り扱い説明書(以下、取説)が当たり前でした。SNKのMVS筐体やNEO・GEOが全盛期の頃は、テレビ番組などでも、ゴールデンタイムにちょっとセクシーな映像が流れたりと、規制の緩さも手伝って、きわどい表現も可能な時代でした。取説の編集に際しても、当時はメーカーからの(といっても自社製品ですが)規制も無く、内容はかなり自由な構成となっていて、今ではちょっと考えられないような表現も所々見られます。古参のスタッフ曰く、「ウチは特にそうだった」とのことで、時代を感じるワープロ文字のようなテキストに、エディトリアルのルールフリーなレイアウト、ゲーム中のテクニックがかなりフランクな口調で説明されていたり、開発スタッフによる内輪ネタ満載の編集後記なるものまで掲載されていました。まさにその時代が紙面に顕れている訳なのですが、同時に当時の縛りの無い奔放な発想を感じとることもできます。過去を知る上での貴重なドキュメントとして、当社に保管されていたそれらの一部を抜粋してご紹介します。
1990年3月 「凄いゲームを連れて帰ろう」。「MVS」「NEO・ GEO」の誕生、そして発売。
複数のゲームを1台の筐体で共用できるという革新的なシステムで、全国で約12,000台導入されたアーケード基板Multi Video System(MVS)。さらにアーケードゲームをそのまま自宅でも楽しめるように設計された家庭用ゲーム機NEO・GEOが登場。アーケードと家庭をメモリーカードによってつなぐ夢のシステムが、この年誕生しました。
"新たなる大地" NEOGEOが与えたインパクト。
ここで、「NEO・GEO」について、簡単に触れたいと思います。ゲーム業界の躍進が始まった1990年代、SNKは業務用と家庭用の新たな2つのゲーム機を世に送り出しました。そのプラットフォームの名は「NEO・GEO(新たなる大地)」。業務用NEO・GEOは、最大6本ものロムをセットできる革命的な筐体「Multi Video System(MVS)」として、そして、“凄いゲームを連れて帰ろう” をキャッチコピーに、MVSのクオリティを自宅でそのまま楽しめた、家庭用ゲーム機「NEO・GEO」。当時、業務用と家庭用の間には大きな性能差があり、「ゲームセンターの興奮を 家庭でも味わえる」なんていう話は、ゲームファンにとって夢のまた夢。移植作品の多くはオリジナルに及ばないのが当たり前の時代、NEO・GEOの登場は大きな衝撃を与えました。子供たちはNEO・GEOがある家に集まり、対戦ゲームに没頭し、文字通り家庭がゲームセンターと化していたのです。
その後、『龍虎の拳』を皮切りに、ロム容量が100メガビットを超えるタイトルが続々登場し、「100メガショック!」というコピーがテレビCMで聞こえてくるなど、NEO・GEOは90年代のゲームファンにインパクトを与え続けます。(晩年のタイトル『THE KING OF FIGHTERS 2003』は716メガビットもありました)NEO・GEO最後のソフトが発売されたのは2004年、実に14年もの長きにわたり、新作ソフトを供給し続けました。これは、プラットフォーム寿命の最長記録(当社調べ)です。そして、NEO・GEOの名は、ソフトの供給が終了した今もなお、SNKの代名詞として人々の記憶に深く刻まれているのです。
90年代 対戦格闘ゲームは黄金期へと突入へとする。
8方向レバーとパンチ・キック・投げの3ボタンで構成され、協力プレイや奥行きのある2ラインバトルなど、斬新なシステムが多数盛り込まれたSNK格闘ゲームの原点と言える作品。個性的なキャラクターやドラマチックなストーリーなどが人気となり、ゲームのみならずマルチメディアで一大ムーブメントを巻き起こしました。
歴史上最強の英雄とは誰なのか?そんな疑問を解決すべく、歴史上の英雄たちが時を超えて激突!そんな独自の世界観がネオジオユーザーから強く支持された「ワールドヒーローズ」。今でも復活を望む声が多い名作です。
「100メガショック!」第一弾。硬派なストーリーや超デカいキャラクター、そして特徴的なSEなど、個性的な要素満載の人気作。斬新なシステムも搭載され、その後の格闘ゲームに大きな影響を与えました。
当時の開発チームが語る
"ここだけの餓狼話" 前編
【 ここだけの餓狼 その1 】
SNKの看板女性キャラ
「不知火舞」。なんと最初はニンジャマスターという男性キャラだったそうです。60%くらいは完成していて、実際に画面でも動いていたところ、「女性キャラが欲しい」というリクエストがあったため、女性忍者になったんだとか。特徴的な舞の尻尾も、実はニンジャマスターのマフラーの名残なのだそうです。設定が女性になった後も、色んな舞がデザインされ、今の形に収まりました。ラフの中には女戦士ライクな舞がいたりと、ちょっと面白いですよ。
【 ここだけの餓狼 その2 】
『餓狼伝説』シリーズの主人公テリー・ボガードと、その弟アンディ・ボガード。元々はアンディが兄という設定だったのが、なぜか途中で入れ替わったそうです。テリーが兄で良かった気がしますね。
【 ここだけの餓狼 その3 】
2ラインバトルという画期的なシステムを搭載していた『餓狼伝説』、実は開発当初はさらにラインがあって、すごく奥行のあるゲームだったそうです。もしそのまま開発が進んでいたら、今の格闘ゲームの常識は少し違ったものになっていたかもしれません。ちなみに、格闘ゲーム初の「ズームイン・アウト」を搭載し、キャラクターが画面いっぱいまで大きくなる『龍虎の拳』、こちらも開発当初はキャラクターが更に大きくて、接近した時は膝から下が見えなくなっていたんだとか。まさに100メガショック!ですね。
どこよりも早くSNKのゲームが遊べる、格闘ゲームの聖地 誕生
KOFシリーズの舞台としておなじみ、大阪の江坂に誕生したSNK直営のゲームセンター「ネオジオランド」。様々なイベントが開催され、連日大盛況となっていました。新たに開発されたゲームのロケテストが行われる際には、開店前から長蛇の列ができ、ファンの間では格闘ゲームの聖地として、広くその名を轟かせました。その後、アミューズメント施設はネオジオボウル、ネオジオワールドと展開されていきました。
1992.12 「餓狼伝説2」 発売
当時の開発チームが語る
"ここだけの餓狼話" 後編
【 ここだけの餓狼 その4 】
とてもかっこいいキムの必殺技「鳳凰脚」、実は『龍虎の拳』の「龍虎乱舞」を見て思いついた技だそうです。『リアルバウト餓狼伝説』の開発時には、どうしても実際に鳳凰を飛ばしたかったそうですが、当時はそういったエフェクトを技術的に描くことができず実現しなかったとか。エフェクト専用のデザイナーが誕生したのはこの時期だそうです。なるほど...ですね。ちなみに鳳凰のエフェクトは、『風雲スーパータッグバトル』でキム・スイルがちゃんと出しています!との事です。
【 ここだけの餓狼 その5 】
餓狼伝説シリーズは、キャラクターや必殺技のネーミングもとてもかっこいいですが、開発中に別の名前が付いていたりすることはよくある話だそうで、『餓狼MOW』の人気キャラクター、B・ジェニーは元々「ビューティー・ジェニー」、北斗丸は「猿丸」、ケビンは「アイアンリンチ」、そしてテリーの超必(超必殺技)バスターウルフは「ゴッドゲイザー」という、今聞くとちょっと残念な名前で設定されていたそうです。さらに、テリーのことが好きなB・ジェニー、初期設定ではマルコに惚れていたんだとか。それはそれで好感度アップな気がします。
【 ここだけの餓狼 その6 】
当時はキャラクターの描画に本来1パレット15色までしか使えませんでしたが、『餓狼 MOW』のエンディングではそれを4枚重ねにすることで60色の一枚絵を表示していたそうです。当時としては画期的な手法で、NEO・GEOでも手書き風の美麗なカラーイラストを十分に再現できたそうです。まさに歴史を重ねることで生み出され、受け継がれてきた「技」ですね。
武器あり対戦格闘の先駆け!新たなファン層を獲得
一撃の破壊力を重視したゲームバランスと、武士や忍者が繰り広げる駆け引きが対戦を熱くし、そこに深いストーリー設定が加わることで、これまで対戦格闘ゲームに興味の無かったユーザーからも熱狂的な支持を得た作品。アニメやコミックでも展開され、人気キャラのナコルルは様々な企業のキャンペーン広告などにも抜擢されました。
SNK格闘ゲームを牽引する、3on3チームバトルはここから始まった。
SNKの看板シリーズ「THE KING OF FIGHTERS」の記念すべき第一作目。SNKの歴代タイトルに登場するキャラクター達が3on3で繰り広げる白熱のバトルは、まさに夢の祭典。ナンバリングタイトルは14を数え、ストーリーやキャラクターはシリーズを重ねるごとに充実し、今でも世界中で多くのファンに愛され続けている作品です。
KOFシリーズお馴染み、
江坂ステージあれこれ。
SNK本社は昔も今も、大阪の江坂にあります。ほぼすべてのKOFシリーズに登場する「江坂ステージ」は、本社のある江坂駅周辺をモデルとしています。実際のゲーム中にも地下鉄の「江坂駅」の表記があったり、その高架下であったり、旧本社ビルの「SNK」という看板が遠くに見えていたり(「KOF XI」PS2版では、旧本社ビル前の道路がステージになりました)と、江坂のあちこちをモデルにしたステージはKOFシリーズの伝統となっていて、ちょっと探せば、すぐにゲーム中で見た光景に出会うことができます。中には当時SNKが運営していた「ネオジオランド」前が背景になっていたりと、知っている人はなかなかのツウとされるようです(実は本サイト中1986年の欄で掲載している画像はKOF'98でモデルとなった高架下で撮影されたものです)。
3DCGになってリリースされた最新作「KOF XIV」(2016年)では、「NEO ESAKA」と称され、近未来に栄えるハイパーシティとして立派になって登場しています。もちろん、ファンにはお馴染み、御堂筋線の地下鉄も元気に走り過ぎていきます。興味がある方は、是非実機で確認してみてくださいね。
1994.4 「ワールドヒーローズ2JET」 発売
1994.10 「真SAMURAI SPIRITS 覇王丸地獄変」 発売
ブーメラン+空手、斧+プロレス、フリスビー+サンボなど、武器+格闘技という個性的なスタイルで闘う異種格闘ゲーム。その独特の世界観がコアな人気を呼び、今もなお隠れた名作として伝説的に語られているシリーズです。
1995.03 「餓狼伝説3」 発売
1995.05 ゲーム雑誌「ネオジオフリーク」 創刊
1995.05 「ワールドヒーローズパーフェクト」 発売
1995.07 「THE KING OF FIGHTERS '95」 発売
1995.11 「サムライスピリッツ 斬紅郎無双剣」 発売
1995.12 「REAL BOUT 餓狼伝説」 発売
超絶ドットで魅了する、人気のアクションシューティング第一弾
様々なプラットフォームで絶大な支持を受ける事となる「メタルスラッグ」シリーズの記念すべき第一弾。横スクロールでキャラを操り、敵が待ち受けるステージを突破して行くアクションシューティングゲーム。ドット職人達による他に類を見ないドット絵は、スマホアプリとなった最新作でもしっかりと受け継がれています。
1996 小型クレーンゲーム「ネオミニ」 発売
1996.03 「龍虎の拳 外伝」 発売
1996.07 「THE KING OF FIGHTERS '96」 発売
1996.10 「サムライスピリッツ 天草降臨」 発売
1996.09 「風雲 SUPER TAG BATTLE」 発売
1997.01 「REAL BOUT 餓狼伝説SPECIAL」 発売
1997.07 「THE KING OF FIGHTERS '97」 発売
幕末を舞台に、歴史では語られたことのない壮大な戦いを描いた剣劇浪漫対戦格闘シリーズ。美しいグラフィックや、環境音のみのBGMなど、細部までこだわった演出が人気を博し、今も各地で大会が行なわれています。
1998.02 「METAL SLUG 2」 発売
1998.03 「REAL BOUT 餓狼伝説2 THE NEWCOMERS」 発売
1998.05 レースゲーム筐体「オフビートレーサー」 発売
1998.07 「THE KING OF FIGHTERS '98」 発売
1998.10 「SAMURAI SPIRITS 2 〜アスラ斬魔伝〜」 発売
SNKの新たな挑戦。激化する携帯ゲーム市場に本格参入
携帯ゲーム市場が激化する中、満を待して開発したネオジオポケット。特徴である操作感抜群のグリグリレバーは、特に格闘ゲームのコマンド入力で抜群の安定感を発揮しました。スケルトンや迷彩カラーなど、豊富なバリエーションが中高生や大人に受け入れられ、98年のグッドデザイン賞も受賞しています。
東西奔走の営業活動。
数々のドラマが生まれました。
成功の影には、地道な営業努力があります。メガヒットを飛ばしたSNK商品達のその影で奔走する男達。
そこには数多くのドラマが生まれました。当時の営業活動中に起きた出来事や、誰も知らない裏事情など、社内応募で多数寄せられた思い出の中から、一部をご紹介します。
【 営業列伝その1 】
おばあさんがやっている駄菓子屋さんが、店を閉める事になり筐体を引き上げに行ったら、筐体に何度もお礼を言いながら、最後は涙で見送ってくれた。
【 営業列伝その2 】
当時の全営業車に社ロゴを入れなかったのは、現金やソフトの盗難防止の観点から。でも、ネオポケが発売される頃には、全営業車にネオポケのステッカーを貼るよう指示が来た。ちなみに、ネオポケのステッカーを私有車に貼ると宣伝としての報奨金がもらえた。
【 営業列伝その3 】
とあるゲームセンターが、「店内にたくさん掲示したい」ということで販促用(非売品)のカレンダーを多めに納品したら、年明けに店頭で販売されていた。
【 営業列伝その4(抜粋版) 】
- ○営業所は、途中まで土日が休日だったが、週末の故障対応を考えて、土曜出勤の日月が休みに変わった。平日の空いている時に買い物や映画が観れると営業所員には割と好評だった。
- ○対戦相手がカメラで確認できるスーパーNEO29は、ケンカの原因となるため不評だった。
- ○サムライ斬紅郎は、営業所の設置しているリース筐体の数以上のソフトが送られてきた。
- ○トラックにMVS-U4を8台+ソフトを積み、⌈納品するまで帰ってくるな。⌋と上司に送り出された。
- ○鹿児島営業所が火山灰の被った筐体と基板を廃棄するつもりで水洗い。3日間日干して電源を入れたら普通に起動した。
- ○月末近くは、集金した数百万円分の100円玉を毎日銀行に入金していたから、銀行のお姉さんに嫌われていた。
- ○SC筐体のネジは特殊で「NEOネジ」と言われていた。
- ○MVSのタイトルパネル(ELカード)は、一部の子供たちが熱心に収集していた。ただ、業者にしか卸しておらず、何故子供たちが...
【 筐体関係のはなし 】
1999.03 「ネオジオワールド東京ベイサイド」 オープン
1999.05 「武力 〜BURIKI・ONE〜」 発売
1999.10 「NEW!ネオジオポケットカラー」 発売
1999.07 「THE KING OF FIGHTERS '99」 発売
1999.11 「餓狼 MARK OF THE WOLVES」 発売
1999.12 「サムライスピリッツ新章 〜剣客異聞録 甦りし蒼紅の刃〜」 発売
2000.05 「METAL SLUG 3」 発売
2000.07 「THE KING OF FIGHTERS 2000」 発売
2001.11 「THE KING OF FIGHTERS 2001」 発売
2002.03 「METAL SLUG 4」 発売
2002.10 「THE KING OF FIGHTERS 2002」 発売
2001年に「株式会社プレイモア」がSNKの知的財産権を継承。2003年7月に「株式会社SNKプレイモア」に商号を変更。人気ゲームシリーズの続編開発や、パチスロへの参入など、SNKブランドの新たな船出となりました。
ゲーム開発のノウハウと面白さを、まるごとパチスロ機に。
2004年2月、4号機「メタルスラッグ」導入を皮切りに、合計52タイトルのパチスロ機をリリース。自社ゲームコンテンツからオリジナルコンテンツ、他社版権まで、バラエティ豊かなタイトルを展開し、ゲーム会社ならではの迫力ある液晶演出が好評を得ました。
スロット開発に関する"ここだけの話"
【 ここだけの話 その1 】
人気の「お父さん」シリーズのスピンオフ作品「ハイパー娘」開発中にあった話ですが、これまでは、超お父さんは「超」でスーパーと読み、極お父さんは「極」でハイパーと読んでいました。ところが、「ハイパー娘」では、その父の娘が主人公になってしまいました。開発当初は「超(スーパー)お姉さん(主人公が女性3人だった為)」でしたが、「お姉さん?誰のお姉さん?お父さんの娘なら娘でしょ」「極の後に、超?格下げ?」「極(ハイパー)娘も漢字だと、ちょっとダメでしょ。」などの理由から、紆余曲折を経て「ハイパー娘」に決定したということです。
【 ここだけの話 その2 】
開発初期段階のラフデザインは、初期だけあって企画者の個性とこだわりが爆発します。特にリール中の図柄(シンボル)となると、それは顕著に表れます。時として危うい方向へとデザインが導かれて行く事もあり、一般受けする図柄デザインや、ゲーム性とのマッチングというよりも、自らが揃えて楽しいと思えるアイデアを盛り込む傾向が強く見られます。図柄職人(当社デザイナー)により生み出されては消えゆく多くの図柄たち...。揃えてみたい図柄を突き詰めたらもう止まらないという思いが、時に素晴らしいデザインを生み出す事もありました。
【 ここだけの話 その3 】
パチンコ・パチスロ業界でよく耳にする「業界初」。SNKプレイモアのパチスロにも多くの業界初がありました。ヒットタイトル「餓狼伝説スペシャル」の「1000(レジェンド)図柄」は、獲得枚数入りの図柄が斬新なアイデアでした。他にもプレイヤーの選択次第でストーリーやエンディングが変化していく『七色未来』は、アドベンチャーパチスロとして遊技機の可能性を広げました。ちょっと面白いものでは、「スーパーお父さん」のように、ボタン連打でヒロインが「脱衣」するという、世のお父さん達にとっても革新的なシステムとなりました。
2004.04 「サムライスピリッツ零SPECIAL」 発売
2005.09 「サムライスピリッツ 天下一剣客伝」 発売
2005.10 「THE KING OF FIGHTERS XI」 発売
2006.02 「METAL SLUG 6」 発売
2007.06 「デイズオブメモリーズ」 発売
2008.04 「デイズオブメモリーズ2」 発売
2008.07 「METAL SLUG 7」 発売
2009.04 「THE KING OF FIGHTERS XII」 発売
2009.05 「デイズオブメモリーズ3」 発売
2009.12 「METAL SLUG XX」 発売
2009.06 本社移転(大阪府吹田市江坂町)
2010.07 「THE KING OF FIGHTERS XIII」 発売
メタスラのヌルヌル動くドット絵を、スマートフォンという新たなプラットフォームで再現した本作は、配信後にじわじわとその人気を高め、全世界で3,000万ダウンロードを突破。SNKの新たな看板タイトルとなりました。
2016.02 「メタルスラッグ アタック」 配信
THE KING OF FIGHTERS '98の世界観を再現した中国発の超人気リズミカル格闘RPGは、アジア圏を中心に熱狂的な人気を集め、全世界で5,000万ダウンロードを記録!ついに日本にも上陸し、高い人気を継続しています。
総勢50キャラクターが繰り広げる白熱バトル、待望のシリーズ最新作ついに開幕。
KOFシリーズの血統を受け継ぐナンバリングタイトルとして伝統の「3on3チームバトル」を継承しつつ、グラフィックを従来の2Dから3Dに一新!さらに「パーティーバトル」などの新たなオンライン機能を実装。シリーズ最大級の50キャラクターが繰り広げるKOF新章が開幕しました!
国内外における「SNKブランド」の更なる認知拡大と企業価値の向上を図るため、当社は社名を株式会社SNKに変更いたしました。SNKファンの方々には、「SNK」ブランドの復活を、新しいファンの方々には、 新生「SNK」の誕生を、強く印象付けるとともに、今一度原点に立ち返り、愛されるゲームを提供し続けようという当社の意思が込められています。